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たまには善と悪について考えることも大事ですね。(考えることは大事でもこの投稿の先の文章を読む必要は無いです)

普段の生活を、ただなんとなく「周りの人がこうしているから」とかで生きていると、人としてどう生きるのが正しいのかを見失いがち。アニメなんかについても、何も考えずに「どちらにも正義がある…って言っておけば戦争のことを分かっちゃってる感じがして俺カッコいい」みたいなのは人として恥ずかしいだけ。アウシュビッツにも原爆の投下にも正義なんてない。

それこそガンダムという作品は、正義とは何かについて悩んでいた時代の作品だ。戦時中は日本が正義で米英は鬼畜だと言っていたのに、負けたらコロッと手のひらを返してアメリカ万歳マッカーサー元帥万歳ギブミーチョコレートになったわけで、そうした親世代を見て育った戦後の子どもたちにとって正義とは何かは悩ましいところ。

アメリカ様が正義でナチスが悪であることが当たり前という中で育った子どもにとって、そのアメリカと戦争をした親世代は間違った悪い人間なわけだけど、その親と同じ日本人であるというだけで自分たちも間違った民族の間違った国民であるというコンプレックスがある。

なんだかんだ人というのは自分のことを正しいと思って生きたいものなんだろうと思う。それなのに自分たちがしたわけでもない戦争によって、生まれた瞬間から間違った存在としての生きなくてはいけない、それは凄いストレスだろう。そうした原罪に対して「あなたは救われました」と言ってくれたのが当時のアニメ作品だ。戦艦大和であったり、アメリカ国旗カラーのスーパーロボットであったりが、世界の希望を背負ってナチスモチーフの敵と戦う。言ってしまえば「この前の戦争もアメリカの下でナチスと戦っていれば正義の勝ち組になれたのに」という都合のいい妄想とも言える。なんでホワイトベースのMSパイロットたちの名前が日本軍機の名前をもじったものなのか(アムロレイ:零戦れいせん、リューホセイ:流星りゅうせい、ハヤト:疾風はやて、カイシデン:紫電改しでんかい、セーラ:晴嵐せいらん)といったら、やっぱり彼らが「日本」を表すものだからだ。間違った戦争をして負けた現実は親たちの歴史で、アメリカ国旗のカラーリングでナチスみたいな敵と戦った宇宙世紀こそが俺たちの歴史だと執着する人は今でもいるものだし、大人は大人でそんなアニメを見続け自分たちを見下してくる子どものことをオタクという変態のレッテルを貼ってバッシングしたりした。

アニメ文化というのは戦争の影響がとても強い。日本に限らずアメリカでも、核の投下に対する批判を抑えるために、放射能によってスーパーパワーに目覚めるアメコミヒーローなんかが描かれた。核を正義の兵器だと子どもに刷り込むために。

さらに言うとガンダムの場合はそこにベトナム戦争も加わる。戦時中は日本が正義、戦後はアメリカ様が正義と信じていたのに、そのアメリカでさえ正義ではないというのが分かってしまった。そこから自分たちが正義ではなかったことへのコンプレックスは「そもそも正義なんてこの世に無い、人間なんて愚かな悪ばかりで、だから自分たちが正義でないのも仕方がない」という形で心の支えに昇華する。こじれたガンダムオタクが嫌われる理由がここにもあって、正義なんてないんだからと最初から諦めて、正しくあろうと努力する人を嘲笑い、何もしない自分こそカッコいいと勘違いしたりする。平和な世界でアニメを見ながらガンプラを作れることの有難さをただただ享受しながら、「戦争は人間のサガ」とか言っちゃったりする。

戦争の影響はとても大きい。戦前までは竹久夢二のような浮世絵美人が現役だったのに、戦後はディズニーのバンビなどに影響を受けた手塚治虫をはじめ、海外のアニメ絵に一気に移行する。サブカルにおいても戦前の文化の否定が行われたりしたのだ。戦争の敗戦によって起きたジェネレーションギャップはすさまじいものだったのだろう。

普通なら子どもは親を見て育つけれど、その親が見本にならない場合、何を目標にして大人になればいいのか分からない。だからガンダム作中でも主人公は親と仲が悪い。そして、その中で求められたのが「ニュータイプ」、親とは違う新しい生き方をする世代。僕たちはどう生きるか。

まぁ今の時代は親と子の仲も良いことが多いので、親とは違うニュータイプではなく、イオリ・セイくんみたいに親に憧れる主人公もいますね。

その後もガンダムは時代に合わせてそれなりにいろいろなものを描いてきた。環境問題があらわになった時代には、公害怪獣や植物のモンスターが人類に復讐する話が多く作られ、ガンダムでも東方不敗とデビルガンダムが地球環境のために人類を抹殺しようとした。大体どの主人公も「人間もまた自然の一部」「これからの人類は環境と共存して」と言って止めたりしたけど、そうした作品群から30年経って、実際に地球温暖化がさらに進み、夏は気温が35度を超えても普通…みたいな時代になると、やっぱりあの時人類を滅ぼしておくべきだったのかもしれんな…と思ったりする。

で、話が今放送中のGQuuuuuuXに飛ぶけれど、シャアがガンダムに乗っていたらジオンは連邦に勝って…というのは、ドイツに零戦や戦艦大和があれば…と言っているようなものなわけで、いやその現実の歴史が負けたからifの話としてガンダムのアニメをやってたんだろ?って考えると、なんかとても恥ずかしい設定のような気がするんである。

コメント

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  1. Yosuke 2日前

    きっと、オレのつぶやきを見て、書いたんですね。

    ありがとうございます。

    どちらも正義があると書いたけど、実際はどちらにも人間の根本的な部分に悪があると言いたかったのですが、それを書くと炎上すると思ったので、どちらにも正義があるとしました。

    わかりやすい例で言うと、ガンダムSEED、コーディネーターは遺伝子操作したから、悪だとナチュラル(主にブルーコスモス)が思い始め、コーディネーターは宇宙へ逃げ、自分たちの安全に暮らせるためにザフト軍を立ち上げた。

    そして、戦争に繋がり、どちらも憎しみが生まれる。

    私は戦国時代が好きで大名たちは、部下に褒美を与えるとき、土地を与えたりしていたけど、その土地さえも無くなり、奪うために隣の土地へ戦をしかけたり、それを守るために防衛する。

    これもどちらにも良心があった上の戦ですよね?

    でも、片方は攻めてきたから、悪だ!と思うのも事実でもありますけどね。

    戦争って、どちらにも善と信じ、戦ってるけど、相手がヤバいヤツと感じ、禁断の兵器を使う(現実の世界でいう、原爆)などして、勝利する。

    それが戦争ですよね。

    今回の企画は明らかにシルエットでザクが悪になってるのが違和感なんですよ。

    シルエットさえなければ、個人の自由で善悪すればいいですよ~と感じるんですけどね💦

    • Yosuke 2日前

      長文で申し訳ないです!

      • 田中 八尋 22時間前

        返信&2000字近くの長文の投稿をお読みいただき有難うございます。

        >>>オレのつぶやきを見て…

        すみません。見てませんでした。特定の誰かにというか、ガンダムで善悪っていうとこういう風に言っちゃう人いるよね…という一般論のつもりでした。

         

        正義というのを「悪いやつをやっつけること」と定義している人にとっては、お互いに「向こうが悪い」とののしり合う喧嘩は、すなわち正義vs正義と同義かもしれないけれど、正義というのを「人として正しいかどうか」という判断基準で見ると、正義の無い悪vs悪でしかないよね、という話。

        自分の行動が正しいかどうか、人として正しい生き方とは何かを考えずに、「他人を否定できる俺」というのを正義だとされると、炎上事件を起こしたり、女性を差別したり、外国人を迫害したり、子どもや老人を虐げたり、そのほか自分とは違うものをなんでも否定し攻撃するようになるので、それを正義とされると迷惑ですよね。

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