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女の子のガンプラも増え、バンダイがご乱心の商品(30MS)を発表する今、改めて「フィクションの女の子に対してどういう風に向き合うべきか」について考えないと、買った商品をそのままパチ組みで投稿しただけで垢BANになりかねない。
 
というか、モビルドール・メイが再販するということで、機会があったら買ってみようかなとか思っている所にあの30MSの発表があり、ぶっちゃけドン引きだったのでいろいろ考えた。
 
 
基本的にフィクションのキャラクターに人権は無いわけで、裸にしようが首をもごうがそれ自体が罪に問われることはないんですよね。
例えば戦争物の作品ではキャラクターが死んだり犯罪の被害にあったりする。そういう姿を描くことで戦争の悲惨さを描いているわけで、もし作者はキャラのことを酷い目に遭わせちゃダメと言ってしまったら、戦争の悲惨さというものを伝えることができなくなってしまう。
あくまでも、キャラクターというのは作者が物語という形で伝えようとしているメッセージを構築するためのマテリアルのひとつにすぎない。文字という記号を使って文章を書くように、キャラという記号を使って作品を描く。キャラクター個人の扱いがどうかよりも、それによって描かれるメッセージの内容がどういうものであるかが問われるべきであろうと思う。
 
別に、下着やスク水姿の幼女型プラモを絆創膏デカール付で発売しようとも犯罪ではないのだろう。児童ポルノなんかのように守るべき被害者の子どもがいるわけでもない。
でも、そうした商品を売るという行為があらわすメッセージがどういう意味になっているかは考えるべきで、そのメッセージの内容によっては、その発言の責任を負うことになる。
 
犬や猫をかわいいというのと同じように、美少女プラモの造形を好きな人が愛でるというのは健全だろうと思う。エロい物を良いと思うこと自体も当たり前で、美術館には女性の裸体が目白押しだ。大人が子どもをかわいいと思うのも当たり前だし,「少女」というのが独特の魅力を持っているのもよく分かる。好きなものを好きだと言えない社会では問題だ。趣味は個人で楽しむものであり、スク水幼女も「私個人はこれが好き」と言っている分には他人がどうこう言うものでも無いだろうと思う。個人の自由だ。
 
では企業が売ることはどうだろうか?今まで漫画などでスクール水着というものがどういう意味の記号として使われてきたのかを考えれば、それを一般に売るというのは「幼女に対して性的な目を向けるのは楽しいからみんなもやろう」というメッセージを社会に向けて発信していることにならないだろうか?個人の趣味は自分がしたいことをすればいいだけだが、他人と関わる場合は「したいこと」よりも「するべきこと」が優先される。お付き合いしたいと告白しても相手の答えがNOなら付き合うことはできない。一方的に「自分はこれをしたい」というのを他人に押し付けたら犯罪者だ。個人の趣味の商品を売る企業というのはその境界線上であり微妙な話。その商品で個人の趣味を楽しみたい人にとってはOKだが、そうでない人にとっては非常に危険に見える。エアソフトガンや映画やゲームなどに年齢制限があるのも,「自分の好き嫌いと社会的な正否を分けて考えることができ、この商品が持つ問題性を理解できるだけの判断力を持ち、あくまでも自分は危険なものを楽しんでいると自覚した上で個人の趣味としてだけ楽しめる人(になっているであろう年齢)」という意味で制限をかけているように、個人の趣味というのは社会的には問題があるものも多い。企業としてその点にどうやって向き合うかは大事だ。今回の30MSの発売にそうした配慮があるとは思えない。もちろん「これを買ったら犯罪者になる」という安直な話ではなく、社会の雰囲気をみんなで少しずつ作っていく上で、積もりゆく塵のひとつとしての話。
 
また「現実の人間相手ならセクハラ犯罪行為でもフィクションのキャラが相手なら合法」はある意味でとても便利かもしれない。エロやグロや、他者を征服することに対する欲求というのが人間の本能であり、他人に犯罪を行わないと消えないのであれば、その相手にフィクションのキャラを設定することで現実の人間を保護することもできるかもしれない。
 
でもまたそれも本当だろうか?車の運転中に「誰かがそこの曲角から飛び出してくるかもしれない」と思った場合、その相手は実際に会うまでは空想上の存在にすぎない。100年後の未来に生まれてくる子どもたちというのも、今現在の段階では空想上の存在でしかない。でも彼らをないがしろにしていいわけではない。会ったことがない存在に対しても気を使えるというのは人間性の大事な部分ではないだろうか?実在の人間を想定した空想上の存在と、完全なフィクションのキャラクターは別としても、人間の脳は本当にそれを区別できているのだろうか?現実の山を記号化して「山」という漢字を作り、その記号で書かれた文章を読んで現実の状況を判断したりするように、フィクションのキャラクターも現実を記号化したものであり、その記号に対する扱いが現実に還元されるのではないか?
 
人としてどう向き合うべきかは一概には言えず、正しい答えなんてないのかもしれない。何を「正しい」「正しくない」と思うかは人それぞれだ。
人間は限りある時間を生きているわけで、前の世代から受け取ったものをより良い形にして次の世代に託すということしかできない。スク水姿の少女プラモを発売すると、子どもたちが自分の世代よりもより良い暮らしができるというのなら「正しい」のだろうし、「現実の女性相手にセクハラをしちゃダメって言われたけど、ひとまずこの代用品でセクハラを楽しみ続けようぜ」などというのであれば、否定された過去の間違いにいつまでもすがりつく行為に過ぎないわけで「正しくない」のかもしれない。
 
とりあえず、モビルドールメイを買うかどうかでここまで悩んだ…というのは嘘だけど、あの30MSの発表はそのぐらい問題だと思った。まぁ「やべー!」と思うのは自分もメイを買ったらちょっと改造したいなと思っていたからなんだけど。
 
なぜ発表から時間がたった今になって言うかというと、文章をちまちまいじりながら投稿するかどうかを数日迷っていた。内容とはまた別に、こういうことを投稿するという行為が持つメッセージ性も生じるわけだし。つまり炎上とかしたくないし。

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