つぶやき
- 作品・8883
- フォロー・10
「俺のニューガンダム」というものの意味について考える。
以前、せっかくEGニューガンダムにはフィンファンネルが付属しないのだから、いっそのこと「フィンファンネルより似合うぜ!ニューガンダムのオリジナル装備デザインコンテスト」っていうのはどうだろうか…と投稿したことがある。
それよりさらに一歩踏み込んで話をすると、ニューガンダムの登場する逆シャアは初代主人公の物語が完結する劇場版ということもあり、ニューガンダムは宇宙世紀におけるニュータイプのある種の到達点ともいえる。
ではニュータイプとは何か、ニュータイプのあるべき姿とは何だろうか?劇中の設定はともかく、つまるところは、製作者が視聴者である子どもたちに対して提示する、「これからの若い世代はこうあるべき」という理想であろう。
例えば、環境破壊が注目された時代のアニメだったら、人類に怒った地球が生み出した怪獣と闘いながら「これからの時代の子どもたちは自然と共存できるようになるから、もう少し人類を信じて見守ってほしい」みたいなオチで終わることが多かったですね。
ガンダムも、第二次大戦を終え、ベトナム戦争を見てきた日本人が、これからの子どもたちはどうあるべきかを考えた時に、「もっと他人と分かり合えるように」とか、「グローバルな視点で先見性をもって」とかを期待した。
でも逆シャアで描かれるのは、人間はお互いに分かり合えないという姿でもある。そりゃそうだ。長年の親友だって知らない面があるのに、ろくに知らない人と理解し合うとか無理に決まっている。人それぞれ出来ることも違えばしたいことも違って、見えているものも違う。宇宙に出れば人間は無理なことが出来るようになると妄想に頼るよりも、どうやっても分かり合えない人間が、それでもお互いを尊重して生きるにはどうしたらいいのかという、足りないピースを求める必要がある。片翼の天使、比翼の鳥、ニューガンダムに至っても単体では不完全な人間、他人と支え合う必要があるのに、しかしその隣り合う人とも理解はし合えない。できないからこそ、少しでもマシになるように、新しい世代の子どもたちは今までになかったピースを求めて手を伸ばす。世の中なんてこんなもんだと諦めたオールドタイプと違って、子どもたちには 世界はより良い物へと変えられると信じて手を伸ばすニュータイプであってほしいと願う。
逆シャアが公開された1988年から人間の文化はどれだけ進歩しただろうか。現代の日本人が示せるこれからの人間のあるべき姿、ニューガンダムの現代の姿とはなんだろうか。
「ガンプラで世界を救うか、それもいいんじゃないか?」
お題企画「俺のニューガンダム」▶️
いつもGUNSTAをご利用いただきありがとうございます。
先日開催しましたGUNSTAフェス「連邦軍VSジオン軍」では、今回が3回目となり、1回目、2回目ともに「ジオンチーム」の勝利を飾りましたが、今回は「連邦チーム」が勝利となり幕を下ろしたました。
たくさんの皆様のご参加、大変ありがとうございました。
今回、GUNSTAでは「連邦チーム」の勝利を記念し、連邦軍の機体から「ニューガンダム」をテーマにしたお題企画「俺のニューガンダム」を実施します!
応募締め切りは9/1(日)23:59までとなります。
ぜひ皆様のニューガンダムの作品でご参加いただければと思います。
作品につけるタグは「俺のニューガンダム」となります。 詳細は下記のお題企画ページをご覧ください。
GUNSTAお題企画「俺のニューガンダム」
https://gumpla.jp/odai_kikaku
また、今回お題企画のバナーを制作にするにあたり、けのさんさんより、ニューガンダムの作品の写真を使用させていただきました。
ご使用させていただきました事、この場を借りてお礼申し上げます。
それではみなさまのご参加心よりお待ちしております。
引き続き、GUNSTAをよろしくお願いいたします。














