「ラストシューティング」そのシーンに込められた本当の意味について考え、それをいわゆる横浜ガンダムを使ってデジラマというカタチで表してみました。
ガンダムを知らない人でもおそらくとりあえずは一度くらいは何かしらでみたことがあるであろう機動戦士ガンダムのクライマックスでのワンカット。すでに多くの方々によって様々な形で再現されてきた有名なシーンですね。
以下ネタバレアリです。
腕を高く天を指すようにビームライフルを構えてそれを支えるかのように両足を大きく広げて、もはや将門の首が如く頭部のみとなったジオングをねらい撃つ。この時既にガンダムは熾烈な戦闘により左腕と頭部を失っています。
もう何度も見たはずのこのシーンなんですが、近頃ジオラマで再現なさってる方々の作品を見て僕は小さな違和感を持ちました。
その違和感の原因が何とはなしに気になってTV版のシーンを見直しました。
よく見るとガンダムが広げた左足は極端なほど内向きに描かれているではないですか!
そして失礼ながら申し上げると、ネットで公開されているラストシューティングのジオラマ作品のほぼほとんどが左足を外側に向けて広げている事に気づきました。
ではなぜ、TV版で描かれたガンダムの左腕が内向きなのか。シーンの流れからいくとオートパイロットに切り替えられ歩行していたガンダムが頭上のジオングに気づいて反応するためにとった体勢のため不安定感をダイナミックに出す意図であった事も考えられます。(そういう表情や所作を安彦氏は細やかに描き分けるのが得意でいらっしゃる)
でもそれだけでしょうか?
僕の勝手な想像かもしれませんが、この時のガンダムのポーズは「人」という字を表しているのではないでしょうか?人という字の草書体は右(つまり左足)が外ではなく内向きに払います。
「人」それはファーストガンダムで一貫して描かれた大きなテーマです。自分勝手で甘ったれのアムロは人に会い人と別れて人として成長して行きます。地球で故郷の街が消失していた母子、塩が欲しいと不満を述べる人々、ホワイトベースのクルーの人々、ドアンや「時間よ止まれ」のジオン兵のような人。人、人、人・・・。様々な人々の生き様や死に様がひとつひとつ丁寧に描かれています。
アムロと激戦を戦い抜いたからこそガンダムはラストシューティングの時、人のようにジオングに反応します。
そしてラストでアムロは「僕には、まだ帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない。」とララァの居る精神世界ではなく、ホワイトベースの人々の所に帰ります。
ラストシューティングのあのポーズ。それはファーストガンダム全体を通しで「人」を描かれている、という強いメッセージが込められているのではないでしょうか。
全体
ご覧いただき、また長文にお付き合いいただきありがとうございました😊
コメント
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人という文字の解釈、感慨深いですね…。
Fujiwaraさん コメントありがとうございます!そうであったらいいのにという僕の願望も多少入ってます。。
でもジムの構えなど、相対する敵に投影面積の小さくなる姿勢で描かれた中で、アムロとともに闘ってきたガンダムが最後の最後に頭上のジオング頭部へわざわざ足を広げて投影面積の広く、かつ左足が極端に内向きな体勢で応戦する様が描かれた事に何か秘密のメッセージが込められているのでは、と考えずにいられないのです。
自称模型製作愛好家。
40年ブランクがありまして2023年からEG?HG?なにそれ状態のまま製作復帰。
製作ペースは非常にスローです。
小学生の頃初めて作ったガンプラはたしかベストメカコレクションのガンキャノン。
お小遣い握りしめて模型店回ってようやく買ったベストメカコレクションを接着剤ベタベタ・無塗装で組んでブンドドして遊んでた子供時代でした。
通り抜けた時代が時代だっただけに合わせめ消しや接着はわりと苦じゃありません。(巧いか下手かは別として)
皆様のように格好良く「モデラー」なんて名乗るほどの技術はありません
やってることはゲート未処理の素組みからゴリゴリのスタイル改修まで。
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